網戸神社|あじと神社|小山市|御朱印|寒河尼や網戸氏に崇敬された網戸城跡に鎮座する古社

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栃木県小山市

『網戸神社』

栃木県小山市の網戸(あじと)という地域にある大変歴史の古い神社で、宗像三女神の一柱であるごりひめのみことをお祭りしています。

小山市を流れる思川のすぐそばに位置しており、現在網戸神社がある場所はかつて網戸城というお城があった場所でもあるそうです😊

なお、駐車場は境内の中だそうで、他の車の影響がないように止めると良いそうです。(詳しくはこちらのページからご確認ください)

こちらのブログでは、網戸神社の歴史や境内についてご紹介させて頂きます。

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【基本情報】

住所 栃木県小山市網戸2025
電話番号 090-4204-1117
アクセス マップを開く
公式サイト 公式サイトを見る
公式Twitter 公式Twitterを見る
公式インスタグラム 公式インスタグラムを見る
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目次

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網戸神社の歴史

網戸神社は、福岡県宗像市の宗像大社を総本宮とし祭られている宗像三女神の一柱・ごりひめのみことをお祭りしている神社で、田心姫命がいつ頃勧請されたかは明らかではないそうです。

しかしながら、社殿の再建が平城天皇の御代である西暦806年の10月28日という記録が残されているそうで、創建はそれより以前に遡ることから、相当に歴史の古い神社であるようです😊

また、西暦927年にまとめられた延喜式神名帳に記載された神社を延喜式内社と言いますが、こちら網戸神社も、当時胸形神社として延喜式内社として記載されていたとも伝えられています。

これについては定かではないそうですが、こちらの網戸神社と、網戸神社からほど近い場所にある胸形神社のどちらかであるとされており、このような関係にある神社を論社と言います。

網戸神社と胸形神社はその両方で田心姫命をお祭りしていることから、何かしらの関係があったものと思われますが、そういった所も含め分からないこともあるというのがまた面白いですね。

ちなみに、宗像三女神の表記では宗像を使用しておりますが、この”むなかた”には宗像を含め、宗像・胸形・胸方・胸肩・宗形・身形など、様々な漢字があてられることがあるそうです。

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藤原秀郷公も参拝

ふじわらのひでさと公は、かつて平将門を討った人物として知られる平安時代の武将で、現在は栃木県佐野市の唐澤山神社にて祀られています。

その藤原秀郷公も、940年にこちらへ参拝され、戦勝祈願をし、その後見事に将門を打倒すと、神社に金百貫文を奉納されたそうです。

藤原秀郷公は、栃木県の社寺の記録を辿ると度々目にする大変重要な人物で、栃木県内には秀郷公にゆかりのある社寺が数多くあります。

例えば、関東三大師の一つで、佐野厄除け大師の通称で知られるそうしゅうや、徳川家康公が関ヶ原の戦いを決断した軍議・小山評定が開かれた須賀神社も藤原秀郷公の創建とされています。

平将門との戦いの前には、県内の由緒ある神社やお寺で戦勝祈願を行っており、つまりこちら網戸神社もその一社で、当時から網戸神社が広く知られ、大切にされていたことが分かります。

網戸城跡

網戸神社は小山市を北から南へと流れる思川沿いにあり、この思川はその後渡良瀬川へと合流しますが、実は網戸神社はその渡良瀬川改修工事のため北へと遷宮された経緯があるそうです。

元々は本宿二四四八番地という住所で今より少し南に位置していたそうで、現在は本宿という住所はありませんが、今でも本宿集落センターや本宿というバス停の名前として残っています。

そして、網戸神社が遷宮された現在の場所というのが、かつて鎌倉時代(1185-1333)の初めに築城された網戸城があった場所で、1440年代頃まで網戸氏により継承されていたそうです。

この網戸城の初代城主を務められたのが網戸十郎ともむらという方で、父は結城ともみつ、そして祖父が小山政光、祖母がさむかわのあまという方で、実はどなたも小山市の歴史上大変重要な人物ばかり。

↓小山市役所のそばにある↓
小山政光・寒河尼の像

小山駅から徒歩で数分の場所に、かつて祇園城があった城山公園がありますが、かつて小山氏の祖となりこちらを居城としたのが小山政光という方で、その妻が寒河尼という方になります。

そして、その二人の子である小山朝光は結城氏の祖として結城朝光を名乗るようになり、更にその子である網戸十郎朝村が網戸氏を名乗り、以降網戸氏が網戸城を居城とされたようです。

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寒河尼と源頼朝

網戸十郎朝村の祖母の寒河尼という方は、実は鎌倉幕府初代征夷大将軍・源頼朝の乳母を務められた方でもあり、寒河尼は頼朝により下野国寒川郡並びに網戸郷の地頭職を任ぜられました。

また、網戸神社に対しては頼朝から領地が寄進され、それ以来寒河尼や歴代の網戸城主から篤く崇敬されるようになり、小山家の定紋『左二ツ巴』を網戸神社の神紋とされているそうです。

またこの頃、藤原一族の祖神として崇敬され、人神の間をとりもつ神とされるあめのねのみことを併せて祀るようになったそうです。

藤原一族と言えば、先に藤原秀郷公という方についてご紹介をさせて頂きましたが、実は藤原秀郷公は、網戸城主を務められた網戸氏、そして小山氏や結城氏の祖先にあたる方なのです。

ちなみに更に歴史をさかのぼると、藤原氏の祖は藤原鎌足(なかとみのかまたり)という方で、藤原鎌足から更に古い祖先を辿っていくと、その先に天児屋根命という方がいらっしゃるようです。

また、寒河尼や網戸十郎朝村の墓所(称念寺)も網戸神社のすぐそばにあります。

御朱印

網戸神社では毎月変わる御朱印も含め、これまでに様々な御朱印が頒布されています。

御朱印の詳細については公式サイト、公式Twitter公式インスタグラムで最新情報が発信されておりますので、是非ご確認してみてください。

また、公式サイトには御朱印紹介のページ過去の御朱印ページがありましたので、気になる方は是非両方ともご覧になってみてください😊

公式サイトに紹介がありますが、御朱印の郵送なども行われているそうです。

最後に

こちらのブログでは、栃木県小山市の網戸にある歴史ある古社、網戸神社の歴史や境内の様子についてご紹介させて頂きました。

境内には稲荷神社や八坂神社をはじめとするいくつもの境内社があり、涼やかに水が流れる手水舎は可愛らしい置物で彩られていました。

網戸神社までの道中にはのどかな田園風景が広がっており、神社のある場所は大変静かなので、とても穏やかな気持ちで参拝できました😊

小山市の歴史と古くから関わりのあった由緒ある神社ですので、小山市にお住まいの方は是非参拝されてみてはいかがでしょうか。

最後まで読んで頂きありがとうございました。

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