栃木県芳賀郡市貝町
『入野家住宅』
今から約180年前に建てられた入野家住宅は、市貝町唯一の国指定重要文化財の建造物であり、その姿は今も良好な状態で保存されています。
目の前には田畑が広がり、まるでタイムスリップしたかのような気持ちにもなれる場所ですので、歴史好きな方には是非見てみてほしいです😊
なお通常であれば、土日祝日の午前9時~午後3時まで、入野家住宅の内部を開放しているそうで、平日も予約をすれば中を見られるそうです。
内部の見学をご希望の方は、下記基本情報に記載の参考サイト(市貝町観光協会さんのページ)から詳細をご確認ください。
こちらのブログでは、入野家住宅の歴史や、重要文化財の建物についてご紹介させて頂きます。
[aside type=”boader”]【基本情報】
住所 | 栃木県芳賀郡市貝町大字赤羽2877 |
アクセス | マップを開く |
参考サイト (市貝町観光協会) |
参考サイトを見る |
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入野家住宅
栃木県の市貝町にある入野家は、もと武士の出自で、江戸時代初期から代々名主を務めた家柄であったと伝えられています。
名主とは、村内において最も格式の高い百姓で、かつ領主側と百姓側をつなぐ重要な役割を担う村役人のことをいい
村政全般を取り扱うため、高い知的能力と事務能力が求められることから、読み書きそろばんが出来なくては務まらなかったそうです😊
名主のことを、庄屋、肝煎とも言い、地方によって呼び名が異なるケースがあるようです。
栃木県内には、矢板市にも茅葺屋根が立派な荒井家住宅が残されていますが、こちらも庄屋を務めた家柄であったと伝えられています。
↓荒井家住宅↓
市貝町の入野家住宅は、そんな入野家の方が、天保7年(1836)~12年(1841)までの5年間を費やして建てたもので
天保の大飢饉に当たって、村民救済事業として建設されたものと伝えられています😊
後述しますが、飢饉の際には、人々の救済のために新たに住宅や蔵を建てる方がいたそうで
これにより職を得たり、そこで金銭や食べ物を恵んだりすることで、人々を救ったそうです。
天保の大飢饉
天保の大飢饉と言えば、学生時代に誰もが歴史の授業で習うと思いますが、特に天保年間の1835年~1837年にかけて最大規模化し、1839年まで続いたと伝わる大飢饉のことです。
その主な原因は、1833年から数年間にわたり続いた天候不順で、田植えの時期になっても雨が降らなかったり、夏なのに寒かったり、更には一転して大雨に見舞われたりと
通常とは異なる天候が長期にわたり続いたことから、米が収穫できず、食糧不足になり、この飢饉における最終的な死者の合計は20万人~30万人にも及んだと伝えられています。
この天保の大飢饉においては、江戸幕府もその救済のため、江戸の市中21カ所に御救小屋を設置したそうで、そこでお炊き出しなどを行い、人々の救済にあたりました。
入野家住宅もこの天保の大飢饉の頃に建てられたもので、人々の救済のために建てられたという、歴史的背景からして大変重要な遺産です。
主屋・表門が重要文化財
入野家住宅|表門(手前)・主屋(奥)
入野家住宅は今から約180年ほど前に建てられたもので、その後は大きな改造も加えられておらず、往時の姿が良好に保存されています。
主屋・表門の二棟が国指定の重要文化財となっており、主屋・表門ともに、茅葺寄棟造で、厚みのある茅葺屋根が大変立派です😊
パンフレットの図を参考に、主屋内部の図を、実際の上空写真とともに作成してみましたので、是非参考になさってください。
栃木県市貝町では唯一の国指定重要文化財に指定された建造物であり、2010年12月に市貝町へと寄贈され、日にち限定、又は要予約のうえで、現在は内部の公開なども行われています。
施設紹介
実際に、入野家住宅へお伺いさせて頂いた際の様子をご紹介させて頂きます。
この時は平日で、予約などもせずお伺いしたので、建物の外の様子だけ見させて頂きました😊
入野家住宅の前には、広い田んぼがあり、こちらから建物を眺めると、いまだに昔の暮らしが残っているようにも感じられます。
上の写真右手に写っているイチョウも大変立派で、秋にはとても綺麗に葉が色づきそうです。
そしていざ住宅の方へと向かうと、まず先に見えるのが、入野家住宅の表門です。
↓入野家住宅表門↓
長手方向の長さ(桁行)が九間半(約17m)
短手方向(梁間)が二間半(約4.5m)あり
中央に、潜戸付の扉口がある長屋門で、東側にくら・西側になやがあります。
↓表門後ろ側↓
表門をよく見ながら、その後ろ側にいくと、入野家住宅の主屋があります😊
こちらの主屋の様子を観察しているときに、屋根の上の部分に、入野という名前が記されていることに気が付きました。
もう少し拡大したものがこちらで、調べてみると、こちらはおそらく、茅葺屋根に見られる煙出しと言われる部分のようです。
名前の周りに穴が空いていますが、茅葺屋根の建物では、屋内で火を焚き、煙をもくもくと発生させる燻蒸という作業を行うそうで
これにより、茅葺屋根の防虫・防腐・殺菌効果が期待できる他、柱や梁にすすを付着させることで、耐用年数を高める効果もあるそうです😊
それにしても、茅葺が分厚くて綺麗で、本当に素晴らしいです。
その後、屋敷をぐるっと一周まわって、建物をよく見させていただきました😊
外から見た様子も大変立派ですが、建物の中に入れば、いろり、かまど、そして大きな梁なども見られるそうですので
もし都合が合う方は、是非建物の中の様子もご覧になってみてはいかがでしょうか。
ちなみにこちらの入野家住宅は、2019年公開の映画「地上の星 二宮金次郎伝」のロケ地としても使用されたそうです😊
飢饉の際に尽力した人々
こちらで紹介させて頂いた入野家住宅は、天保の大飢饉の際に、村民の救済事業として建てられたというお話をさせて頂きました。
大変立派なことだなあと感じるのとともに、思い出したのが、栃木県栃木市にあるおたすけ蔵と呼ばれる善野家の土蔵でした。
↓善野家の土蔵↓
その後、とちぎ蔵の街美術館としても利用された善野家の土蔵は、やはり江戸時代末期の天保の大飢饉の頃に建てられたもので
困窮人救済のため多くの銭や米を放出したことや、失業対策事業として新築したこと等に由来して、おたすけ蔵と呼ばれるようになりました。
他県についても調べてみると
埼玉県桶川市にある島村家住宅土蔵も、天保の大飢饉に困窮する人々に職を与えるために建築された土蔵で、その建築における報酬により多くの人が救われたそうです。
また、岩手県遠野市にある千葉家住宅も、やはり天保の飢饉の際に、地域の方々を救済するために建てられた住宅なのだそうです😊
食料が不足し、生きるか死ぬかの困難を迎えた時に、そういった助け合いの精神が生まれ、そしてその名残が今も蔵や住宅として残っているのは素晴らしいことだなと思います。
最後に
駐車場のそばに咲いていた芝桜
栃木県内では、鈴木石橋という方も、天明の大飢饉(1782-1788)のとき、私財を投じて窮民の救済にあたったことが有名です。
鈴木石橋氏は現在、春には桜がとても綺麗に咲く、雲龍寺境内の墓所で眠られています。
もしかしたら自分の御先祖様も、そういった方々の助けがあって生き延びられたのかもしれないと思うと、改めてありがたいなと感じます。
なお、入野家住宅の周りは、今もなお田園風景が広がっており、本当に清々しい眺めですので、ドライブにもぴったりです。
もし市貝町へ来ることがあれば、是非入野家住宅をご覧になられてみてはいかがでしょうか😊
最後まで読んで頂きありがとうございました。