雲龍寺|栃木県鹿沼市|御朱印|駐車場|桜が見事な浄土宗の寺院

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栃木県鹿沼市

雲龍寺

正式名称は天動山往生院雲龍寺といい、鹿沼市の中心部に位置している浄土宗の寺院です。

春の桜が非常に見事な場所で、鹿沼市の中心へと車を走らせてる道中、そのあまりの綺麗さに車を停めてみた方もきっと多いと思います😊

こちらのブログでは、雲龍寺の歴史や境内の様子についてご紹介させて頂きます。

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【基本情報】

住所 栃木県鹿沼市寺町1351
電話番号 0289-62-3397
駐車場
アクセス マップを開く

↓駐車場↓

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目次

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雲龍寺の歴史

雲龍寺山門

雲竜時の創建は、1185年から1333年まで続いたとされる鎌倉時代のこと。

平家の落ち武者の後裔が、浄土宗の宗祖である法然上人の高弟を迎えて建立されました。

なおここで高弟とは、弟子の中で最も優れた人物のことを言います😊

その後1504年、雲龍寺は鹿沼繁栄にあたり、のちに宇都宮の清巌寺を開山することにもなる旭蓮社義扇心公上人を招請して中興開山。

この当時は鹿沼の押原郷にありましたが、現在の境内地にあった末寺草久庵の地を拡大してここに移転し、現在に至ります。

なお末寺とはその寺の支配下にある寺のことを言い、ここ雲龍寺は、京都の総本山知恩院、江戸芝の増上寺、下総国結城弘経寺などいくつかの末寺となった背景があります。

本尊である阿弥陀如来は中興開山に関わった旭蓮社義扇心公上人のもたらしたものとされ、宇都宮氏第5代当主宇都宮頼綱はこれを深く信仰。

その後頼綱は、出家して法然の弟子証空に師事し、のちに清巌寺を開基。

そして前述の通り清巌寺は旭蓮社義扇心公上人によって開山されました。

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鈴木石橋・山口安良の墓

雲龍寺の鐘楼

ここ雲龍寺には、鹿沼市出身の儒学者すずせっきょう氏、江戸末期の鹿沼の様子などが描かれたおしはらすいろくの著者やまぐちやす氏のお墓があります。

鈴木石橋氏は、天明の大飢饉における窮民の救済、飢饉に備えた備蓄米の制度化、子供の人数調整のための間引きの撲滅、私塾麗沢之舎の建設など数々の功績を残した人物。

山口安良氏の残した押原推移録は、当時の鹿沼の様子を知るうえで非常に重要な文献です😊

また、境内には人間国宝である香取正彦作の梵鐘もある他、山門を入って左手には閻魔大王像が安置されている閻魔堂があります。

雲龍寺閻魔堂

閻魔堂の閻魔大王像は普段は非公開とされていますが、旧1月16日・7月16日の縁日には人が集まり賑わったそうです😊

なお、1月16日と7月16日は地獄の釜開き亡者の骨休みといって、休みなく働く地獄の鬼たちが休む日とされています。

閻魔大王様をお祀りしているお寺ではこの日に御開帳されることが多く、平穏無事を祈り、生者でありながらお赦しをいただくため、閻魔大王様の前に人が集まったということです。

御朱印

鹿沼市雲龍寺の御朱印です。

御朱印中央に阿弥陀如来と書かれています。

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桜と境内の様子

ここ鹿沼市の雲龍寺は、日光例幣使街道の交差点にあるため、鹿沼市の中心街へ車で向かう際に横を通る方も多いと思います。

外からでも綺麗に整備されていることが分かり、山門からも厳かな雰囲気が伝わってくるお寺で、なんといっても綺麗なのが春。

参道脇に植えられている桜の木には、これでもかというくらいに沢山の桜の花が咲き、参道を華やかに飾っていました。

現在は開けた場所にあるお寺なのですっきりとした印象なのですが、この桜の木があることでちょっとした非日常的な雰囲気を味わえました。

本堂の前まで進むと、中の様子も見ることが出来て、山号である天動山の文字が書かれ飾られた扁額も、大変年季が感じられました。

なお、雲龍寺さんの阿弥陀如来像は、2015年から2年かけて京都で修復されたそうです😊

こちらは、その本堂側から見た境内の様子、枝の先の先まで見事に花が咲いています。

きっと阿弥陀如来様も、この桜の時期は楽しみなのではないでしょうか😊

皆さんも、鹿沼市へお越しになる際には、是非雲龍寺をご覧になってみてください。

最後まで読んで頂きありがとうございました。

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