栃木県小山市
『興法寺(こうぼうじ)』
849年、第3代天台座主円仁が、都賀郡室の八島に下向の際、小山荘に一宇を建立し妙楽院と号したのが始まりとされています。
近くには藤原秀郷の子孫、小山氏の居城として知られる祇園城があったため、興法寺は小山氏の祈願所でもあったそうです。
なお、興法寺は桜の名所としても親しまれており、春になると、参道の両脇に植えられた立派な桜の樹が見事に花を咲かせます😊
こちらのブログでは、そんな興法寺の歴史や境内の様子について詳しくご紹介します。
[aside type=”boader”]【基本情報】
住所 | 栃木県小山市本郷町2-7-37 |
電話番号 | 0285-22-0609 |
駐車場 | 無料駐車場があります |
アクセス | マップを開く |
↓駐車場↓
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興法寺の歴史
興法寺の創建は、今から約1200年前の西暦849年のことで、慈覚大師円仁によって、はじめは妙楽院として創建されました。
慈覚大師円仁は栃木県壬生町出身の、天台宗の第三代座主を務められ僧侶で、壬生町には円仁誕生の地とされる壬生寺があります。
その後、940年に藤原秀郷が祇園城を築城すると、城内へと移転し、この際に徳王山妙楽院興法寺と号したと言います。
祇園城跡(城山公園)
その後1649年には、徳川家第三代将軍家光から朱印で九石の寺領が寄進され、寺中山林竹木諸役なども免除されたといいます。
これはすなわち、徳川家光に朱印状によって認められた領地であり、境内の自然が保護されていた由緒あるお寺ということです😊
その後は、1683年に火災のため堂宇を焼失したものの、1687年に覚栄大師によって再建。
1808年にも同じく火災に見舞われましたが、1885年に滋湛法印が堂宇を再建し、この時山門は焼失を免れ、今日に至っています😊
興法寺では本尊として阿弥陀如来をお祀りしており、栃木県の文化財に指定されています。
桜の名所
興法寺は小山市・小山駅からほど近い場所に位置し、入り口から山門までずらっと立派な桜の木が植えられています。
普段は興法寺に気が付かない方もいるかもしれませんが、春は桜が綺麗に咲いているので、車でそばを通るとびっくりされると思います😊
駐車場の場所が道路からだと見えないのですが、この桜のトンネルを進み、右手にあります。
興法寺さんは、小山市の小山駅からもっとも近い場所に位置する桜の名所です。
境内紹介
小山市の桜の名所、興法寺さんの境内の様子をご紹介します。
まずは入り口から参道へ入り、桜のトンネルをまっすぐ進んでいくと山門があり、くぐると本堂前の広い空間に出ます。
道路からは山門の奥まで見えませんので、綺麗に手入れがされている広々とした場所にでると、少し驚かれるかもしれません。
ここまで来ると、道を走る車の音もまったく気にならず、大変静かでした😊
興法寺は、かつては第五十七世貫首日光輪王寺宮門跡公弁法親王(第111代後西天皇の第6皇子)がしばしば休泊した場所としても知られ
1695年には阿弥陀三尊像厨子、比叡山中興の慈恵大師良源像厨子、当山施餓鬼会本尊地蔵菩薩像厨子、門額などを寄進。
1683年に起きた火災後の再建も、公弁法親王の助力によるものと伝えられています。
とても静かで、綺麗に手入れの行き届いた境内の様子をじっくりと見ることが出来ました。
なお、境内には戊辰戦争時の流れ弾の痕が残る石造り地蔵像や、数百年間浅草浅草寺山内に安置されていた十三層塔などもあります。
今日一番テンションがあがった時の写真。小山市の興法寺の仏像さんに残る戊辰戦争小山戦闘での伝習隊が撃った銃弾による弾痕。上の穴は遠距離から撃ち出された弾の弾痕だが下の穴はホボ平行射撃による弾痕。下の穴の外輪直径約6cm内輪直径約4cm pic.twitter.com/I5RRMw3UiZ
— サイガ@ (@dobasidorui) September 26, 2015
小山駅からほど近い場所にある古刹・興法寺、気になる方は是非足を運んでみてください😊
なお、興法寺さんのすぐそばのお宅の入り口には、円仁ゆかりの壬生にあった、壬生城の立派な門が移築されています。
最後まで読んで頂きありがとうございました。