壬生寺|栃木県壬生町|御朱印|天台宗の僧侶・慈覚大師円仁誕生の地

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栃木県下都賀郡壬生町

壬生寺(みぶじ)』

紫雲山壬生寺は、最澄や空海とともに入唐八家の一人に数えられる天台宗の僧、慈覚大師円仁誕生の地として親しまれているお寺です。

境内には、推定樹齢が400年~500年とされるとても立派なイチョウの大木もあります😊

こちらのブログでは、壬生寺の御朱印、歴史、境内の様子についてご紹介させて頂きます。

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【基本情報】

住所 栃木県下都賀郡壬生町大師町11-17
電話番号 0282-82-0811
駐車場 広い駐車場があります
アクセス マップを開く
公式サイト 公式サイトを見る

↓駐車場↓

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慈覚大師円仁

桓武天皇が平安京へと都を移された794年、円仁は、現在の栃木県下都賀郡の豪族・壬生氏の次男として誕生されました。

9才のとき、現在の栃木県栃木市にある大慈寺へと預けられた円仁は仏教を学び始め

16歳になると、滋賀県の比叡山へのぼり、天台宗を開かれていた最澄の弟子となります。

厳しい修行の末に僧侶となられた円仁は、その後71歳でその生涯を終えるまで、様々な地を巡り天台宗の布教活動を行いました😊

生まれ故郷である栃木県を始め、東北地方や日本全国を巡り、円仁が開山・再興に携わった寺の数は全国に500を超えているそうです。

没後二年、その死を悼んだ清和天皇により、最澄には伝教大師という大師号が贈られ、円仁には慈覚大師という大師号が贈られました。

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壬生寺の歴史

壬生寺は、 第三世天台座主・慈覚大師円仁誕生の地と長く言い伝えられているお寺であり

円仁が誕生された際には、空に良いことの印である紫色の雲がたなびいたそうで、これが紫雲山という山号の由来となっているようです😊

その後時は流れて1686年、日光山輪王寺の僧・天真親王が、日光への道すがら立ち寄った慈覚大師の旧蹟が荒廃していることを嘆き

当時壬生城主を務めていた三浦壱岐守直次に命じて、大師堂が建立されました。

↓大師堂↓

この大師堂は、江戸中期に建造された建造物としては、壬生町内に残る唯一のものだそうで、壬生町指定有形文化財となっています😊

その後大師堂のそばには、東京上野の寛永寺天台宗学問所が本堂として移建され、1916年に新たに壬生寺が創立されました。

↓本堂↓

本堂には、獅子・象・龍・鳳凰などの彫刻が施されており、大変見ごたえがありました。

産湯の井戸

壬生寺の境内には、円仁が生まれた時に産湯として使われたという産湯の井戸があります。

この水を飲むと安産になり、母乳もよく出るという伝承があるそうです😊

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春の桜

暖かい春になり、再び壬生寺へお伺いすると、参道のそばに立つ立派な桜の木が満開に咲き誇っていて、大変綺麗でした😊

風が吹くたびに桜の花びらが散り、それらが地面をピンク色に染めていて、最終的にはさくら色の絨毯のようになるのでしょうか。

大変素晴らしい桜ですので、気になる方は是非春にも参拝してみてください😊

御朱印

壬生寺の御朱印です。

壬生寺には、出世六地蔵尊と慈覚大師尊の二種類の御朱印があるそうです😊

大イチョウ

境内の大イチョウは樹齢400年~500年と言われ、県の天然記念物に指定されています。

紅葉の様子が大変人気だそうで、秋になると沢山の方が観にやってくるそうです😊

最後に

こちら壬生寺でお生まれになった円仁は生前、遣唐使の一員として唐へと渡り、その記録を入唐求法巡礼行記にまとめられました。

その後この書物は、晩唐の歴史研究をする上での貴重な史料であると高い評価を受け

マルコポーロの東方見聞録に並ぶものとして、元駐日アメリカ大使であるライシャワー博士により世界の人々に広く紹介されました😊

1939年には、実際にライシャワー博士もこちら壬生寺へと来山されたそうです。

壬生町へお出かけされる際には、是非壬生寺をご覧になってみてください。

最後まで読んで頂きありがとうございました。

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