児山城跡|下野市|ヤマユリが咲く、雨の後が綺麗な城跡

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栃木県下野市

児山城跡

児山城は、かつての下野国、現在の栃木県中心部の河内郡・芳賀郡を支配していた宇都宮氏の家臣、児山氏の居城です。

こちらの児山城跡には掘や土塁が今もなおとても綺麗な状態で残されており、城跡巡りがお好きな方にはおすすめの場所です😊

特に、雨が降った後は堀に水が溜まり、より歴史を感じられる風景へと変わります。

こちらのブログでは児山城跡の歴史や、城跡の様子についてご紹介させて頂きます。

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【基本情報】

住所 栃木県下野市下古山957
電話番号
下野市教育委員会
事務局文化財課
0285-32-6105
駐車場 2台
アクセス マップを開く

↓駐車場↓

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目次

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児山城の歴史

児山城は、多功城、上三川城とともに、宇都宮氏の居城として知られる宇都宮城の南方を守るために築かれたお城で、1200年代の終わり頃に築城されたものと伝えられています。

宇都宮城5代目城主宇都宮頼綱の四男多功宗朝の次男又は三男の朝定によって築城されたものと伝えられており、朝定はその後自らの姓を児山へと改め児山朝定と名乗りました。

その後、1558年に上杉謙信が上野国から下野国に侵攻し、小山氏の祇園城、壬生氏の壬生城を落城させ、宇都宮城を落とす前哨戦として攻めたのが、児山城からほど近い多功城でした。

この際、当時児山城主であった児山兼朝は援軍として出陣し、奮闘したものの、上杉方の先陣として攻めてきた佐野豊綱と戦って討死し、児山城は廃城となってしまいます。

しかし、多功城主の多功長朝の采配のもと、児山兼朝を含む2000あまりの軍勢の働きによって佐野豊綱は討ち取られ、見事上杉軍の撃退に成功し、多功城は守られました。

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敷地内紹介

下野市の児山城跡は、竹林と木々に囲まれたとても静かな場所です。

児山城跡の説明書きのある場所から少し進むと内堀と土塁が見えてきます。

ちなみに今回児山城跡にお伺いしたのは、雨が降った翌日のことでした。

掘には水が溜まっており、木々の緑やその隙間から差し込む日の光が反射して、とても綺麗な景観を見ることが出来ました。

この内堀を渡ると、土塁に囲まれるようにして本丸のあった広場があります。

↓本丸跡↓

本丸を囲うようにして盛られた土塁の四隅には、かつてやぐらがあったそうです😊

ちなみに児山城跡の駐車場からは、児山城の外堀の跡を見ることが出来ます。

↓外堀↓

7月のヤマユリ

児山城跡では、7月になると土塁に植栽されたのヤマユリが見頃を迎えます。

児山城跡を守る地元住民で結成された児山城址守り隊が、付近に自生しているヤマユリを移植しているそうで、その数現在約250株😊

雨の後、水の溜まった掘とヤマユリを一緒に撮れるときっと素敵な写真になると思います。

最後まで読んで頂きありがとうございました。

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