蒲生神社|宇都宮市|御朱印|前方後円墳の名付け親・蒲生君平先生を祀る神社

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栃木県宇都宮市

蒲生神社

宇都宮市出身の江戸時代後期の儒学者で、学問の神様として親しまれるがもくんぺい先生を主祭神としてお祀りしている神社です😊

神社境内には、宇都宮市の出身で初代横綱のあかすけの石碑もあり、なんと生前は身長2mを超える大男であったそうです。

また、春には境内の至る所で桜が咲く桜の名所としても親しまれており、その満開の桜が咲く中で相撲大会も開催されています。

こちらのブログでは、蒲生神社の歴史や御朱印、境内の様子にをご紹介させて頂きます。

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【基本情報】

住所 栃木県宇都宮市塙田5-1-19
電話番号 028-622-4852
アクセス マップを開く
公式サイト 公式サイトを見る
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目次

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蒲生神社の歴史

大正元年(1912年)、蒲生君平先生九十九年祭で神社創建の話が出たことがきっかけとなり

多くの賛同によって、大正15年(1926年)に本殿が竣工され、昭和5年(1930年)7月に鎮座祭が執り行われたそうです。

なお、7月5日は蒲生君平先生の命日で、この日が蒲生神社例大祭の日と定められています😊

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蒲生君平先生

蒲生神社にて祀られている蒲生君平先生(1768-1813)は、江戸時代後期の学者で、同じ時代を生きた林子平や高山彦九郎と共に寛政の三奇人(奇は優れたの意味)の一人に数えられます。

蒲生君平先生は、元は油屋と農業を営む町人の子として生まれましたが、6歳の頃から近所の延命院というお寺で読書、習字、四書五経の素読などを学ぶなどとても勤勉家だったそうです😊

14歳で鹿沼の儒者の鈴木石橋に師事すると、毎日鹿沼まで3里もの道のりを往復して国史・古典を学び、更に教養を深め、足利学校の復興にも尽力したり、晩年は文筆活動にも励みました。

1801年には、天皇陵(天皇の墓)を調査した記録をまとめた山陵志を完成させると、この中で初めて前方後円墳という言葉が使われたそうで、実は蒲生君平先生が名付け親親なんですね😊

なお、君平先生の師である鈴木石橋という方は、天明の大飢饉のとき、私財を投じて窮民の救済にあたった素晴らしい方で、現在は鹿沼市の雲龍寺境内にある墓所で眠りについています。

蒲生氏郷の子孫

蒲生君平先生は幼少の頃、祖母から祖先ががもうじさとであると聞かされたのをきっかけに、学問を身に着けて祖先に恥じない立派な人物になろうと決意したという逸話が残っているそうです。

蒲生氏郷は戦国時代から安土桃山時代にかけての武将で、かつて織田信長の家臣であった他、その後は豊臣秀吉に逸早く従属し、会津領92万石を領した凄い人物として知られています。

一説によると、豊臣秀吉は蒲生氏郷の存在を恐れていたとも言われているそうで、そんな蒲生氏郷を崇敬する君平先生は、成長してから自ら姓を改め蒲生を名乗るようになったそうです。

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御朱印

蒲生神社の御朱印です。

御朱印の右上の部分に、前述した寛政の三奇人という文字も書かれています😊

学問の神 御柱

蒲生神社で祀られている蒲生君平先生は「学問の神様」として信仰されており、蒲生神社は学問向上、合格祈願、就職祈願などにご利益のある神社として親しまれています。

学問の神御柱は、蒲生君平先生に学業向上をお願いするための御柱で、柱に空いたいくつかの穴の中で、自分より目線の高い穴に筆記用具を見事に一度で通すことが出来れば良いそうです。

筆記用具を穴に通すことには、難問を通り抜けるという意味があり、そして目線より高い穴を選ぶことには、夢も希望も大きく、そして目標はより高くという意味があるそうです。

明石志賀之助の石碑

明石志賀之介を讃える石碑(右)と石像(左)

蒲生神社境内の見所の一つが、宇都宮市の出身で、大相撲における初代横綱と伝えられている、明石志賀之助という方の石碑です。

明石志賀之助の生没年は不詳とされており、また、謎に包まれている部分が多い人物としても知られていますが、日本相撲協会により、現在は正式に初代横綱として認定されています。

生前は身長約251cm、体重約185kgの大男であったそうで、石碑の所にある手形も大きく、徳川家光公の頃に最強の力士に与えられる称号であるひのしたかいざんを受けたとされています😊

境内にある「日下開山初代横綱明石志賀之助碑」と書かれた石碑は、第12代横綱のじんまくきゅうろうによって建立されたもので

明治33年(1900年)宇都宮城跡(現在の宇都宮城址公園)に建立されたものが、戦後の昭和26年(1951年)にこの地へ移されました。

また、平成19(2007)年には顕彰碑の隣に明石志賀之助の石像も建立され、その他境内には第27代横綱栃木山守也が奉納した鳥居もあります。

↓栃木山寄進の鳥居↓

蒲生神社境内の土俵では、毎年春の桜が咲くころに「初代横綱明石志賀之助杯少年奉納相撲大会」が開催されており、100人近い子供が参加する伝統的な行事となっています。

雷神社

先程ご紹介した栃木山寄進の鳥居がある場所のそばには、雷神社と書かれた石柱と階段があり、この道の先に雷神社があります。

こちらは宇都宮二荒山神社が管理をされている神社だそうで、神社の存在に気が付かない方もいるかもしれませんが、実は寛永年間(1624-1644)建立の大変歴史ある神社です😊

また、実はこちらは御蔵山古墳と呼ばれる前方後円墳の頂上に鎮座されている神社だそうで、途中にはその説明書きもあり、6世紀の前半頃に造られたものとされているそうです。

蒲生君平先生が名付けた前方後円墳が、まさか蒲生神社のそばにあるとは😊

途中の階段や鳥居からは年季も感じられ、とても神聖な雰囲気を感じられます。

その途中にある大きな石も、草木が絡まり、とても長い間ここにあるようでした。

階段を上っていくと、落ち葉が彩る参道の先に、雷神社の社殿がありました。

社殿は新しいもののようですが、前述の通りこちらは寛永年間の建立で、塙田村の農民が、嵐除・雷除の守護神として建立したそうです。

蒲生神社を訪れる際には、是非こちらもご覧になってみてください😊

桜の名所

蒲生神社は桜の名所としても親しまれており、境内には沢山の桜の木がありました。

蒲生神社のそばにある八幡山公園も宇都宮市の桜の名所として人気がありますが、桜の季節に八幡山公園へ訪れる際には、是非蒲生神社の桜も一緒にご覧になってみてください。

最後に

こちらでは、蒲生神社で祀られている蒲生君平先生にまつわる話や、蒲生神社の境内の様子についてご紹介させて頂きました。

蒲生神社はかつて千代の富士が引退前に土俵入りを行った場所である他、蒲生神社を含め県内に九つの神社にある夢福神像も見所の一つです😊

宇都宮市を散策される際には、是非蒲生神社もご覧になってみてください。

最後まで読んで頂きありがとうございました。

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