栃木県小山市
『高椅(たかはし)神社』
西暦111年の、日本武尊による戦勝祈願が起源と伝わる県内でも最も古い神社の1つであり
料理の神様として崇敬される磐鹿六雁命(いわかむつかりのみこと)がまつられています😊
この高椅神社には鯉にまつわる伝説もあり、周辺住民は鯉を大切にし、食べることもしなければ鯉のぼりをあげることもしないそうです。
こちらのブログでは、高椅神社の歴史や境内の様子をご紹介させていただきます。
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高椅神社の歴史
111年に日本武尊が東国の平定に下った際
- 国常立尊
- 天鏡尊
- 天萬尊
の三柱の神々の来臨を当地で願い、戦勝を祈願したのが社の起源であるとされています。
そして西暦123年、日本武尊の父・景行天皇が日本武尊の東征の戦跡を巡視された際
当時膳臣であった磐鹿六雁命(いわかむつかりのみこと)は、老齢のため天皇の許しを得てこの地に留りました。
ここで膳臣とは、天皇の食事の調理を担当する膳夫という係の中の長官です。
その後時は流れて684年、この地を支配した磐鹿六雁命の子孫である膳臣の一族に高橋朝臣の姓が授けられたのをきっかけに
その遠い先祖の祖神磐鹿六雁命が社へと合祀され、以降ここは高椅神社と称されるようになったと伝えられています。
料理の神様・磐鹿六雁命
上記の通り、磐鹿六雁命(いわかむつかりのみこと)はかつて天皇が召し上がる料理の調理を任されていた重要な人物であり
それは、天皇の東国巡幸の際にハマグリのお刺身のようなものを献上したところ、それが大変気に入られたことがきっかけだそうです😊
以降、この磐鹿六雁命の子孫が代々天皇への食事の奉仕を任され、その祖である磐鹿六雁命が料理の神様とされるようになりました。
料理の神様とされているのは日本で唯一この磐鹿六雁命だけで、千葉県南房総市の高家神社・奈良県奈良市の高橋神社・栃木県小山市の高椅神社などのいくつかの神社で祀られています。
また、岐阜県内に飛騨高椅神社、恵北高椅神社、金高椅神社、飛騨高山高椅神社という4つの分社があり、調理関係者から信仰されています。
高椅神社と『鯉』の伝説
高椅神社には鯉に関する伝説があり、以下のように伝えられています。
1029年、高椅神社の境内にて井戸を掘った際に地中から大きな鯉が飛び出しました。
そこで、神主であった持田兵部大輔ははるばる京都へと上り、その不思議な出来事を申し上げ、その鯉を天皇へと賜ります。
すると天皇は、誠に霊異なことであると大変喜び、持田兵部大輔は天皇から日本一社禁鯉の宮と書かれた勅額を賜りました。
それ以降、大きな鯉が現れた井戸は神泉として一般の人々が水をくむことを禁じられ、神社付近の鯉は神の使いとしてとらえて食べることが禁じられるようになりました。
この時霊魚の鯉を放った神池が、境内の最南端に残る千年の池と伝えられています。
そのため、高椅神社は鯉の明神様とも呼ばれ、周辺地域では鯉をお鯉様と呼び、鯉のぼりもあげることもしないそうです。
御朱印
小山市・高椅神社の御朱印です。
高椅神社で御朱印をいただいてきました<栃木県小山市>https://t.co/1oXVsAXazH pic.twitter.com/TcoBCVtcji
— 旅行にいくなら! (@iiyado1) April 10, 2020
拝殿に宮司様の電話番号が書かれていましたで、御朱印を書いていただきたい方は、そちらへお問い合わせください。
境内紹介
こちらの高椅神社は、美しい田園風景を望むことが出来る場所にあり、境内には神聖で清々しい空気が流れていました。
立派な装飾が施された楼門は県の有形文化財にも認定されている大変貴重なものです。
1770年に完成するまで、工事に16年もかかったそうで、最近では2017年から2018年にかけて修復工事が行われました。
楼門をくぐると、その正面に本殿があります。
高椅神社は、かつての下総国結城郡に属し、延喜式神名帳に記載された延喜式内社です。
とても由緒ある名社ですので、気になる方は是非足を運んでみてください😊
最後まで読んで頂きありがとうございました。