栃木県日光市
『青龍神社』
奥日光へと繋がる国道120号線沿いにある神社で、社殿まで真っすぐに参道が続いています。
参道の中ほどにいる狛犬は、約400年前の江戸時代に造られた大変貴重なものだそうです😊
こちらのブログでは、青龍神社の歴史や御朱印についてご紹介させていただきます。
[aside type=”boader”]【基本情報】
住所 | 栃木県日光市本町 |
アクセス | マップを開く |
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青龍神社の歴史
創建年代は不明ですが、真言宗の宗祖・弘法大師空海は平安時代の820年に日光を訪れており、滝尾権現と寂光権現を祭られました。
この頃、その弟子が仏法の守護として、京都醍醐寺の青龍神を移し祀ったのが、日光市の青龍神社の始まりと言われています。
青龍神社では、日本神話で海を司る神として知られる大海津見命が祭られており、気象の守護を担う神社として崇敬されています。
なお、大海津見命は、あの有名な伊邪那岐命を父に持ち、伊邪那美命母に持つ神様です😊
二社一寺の世界遺産・日光二荒山神社の弥生祭と日光東照宮の例祭の際には、毎年晴天を祈る祈晴祭が執行されているそうです。
御朱印
青龍神社の御朱印です。
青龍神社の御朱印です。日光二荒山神社本社の社務所でいただけます。#神社 #日光 #日光二荒山神社 #日光西町五社 #青龍神社 #御朱印 pic.twitter.com/cemugyjmPD
— 匕〒''キ@ (@hideki27fc5) July 17, 2016
青龍神社の御朱印は、二荒山神社の授与所にて、書置きのものをいただくことが出来ます😊
なお青龍神社は、磐裂神社、八幡神社、花石神社、久次良神社と併せて日光西町五社と称され
日光西町の町民に大切にされている五つの神社を巡り、御朱印をいただく方も多いようです。
それぞれの神社の御朱印も、日光二荒山神社にていただくことができます。
境内紹介
前述の通り、青龍神社は国道120号線沿いにあるのですが、入り口が小さく目立ちませんので、お車で前を通る方の中には気が付かない方もいらっしゃるかもしれません。
村社青龍神社と書かれた石柱の後ろに由緒書きがあり、本町(もとの四軒町、袋町、下本町)の氏神であることなどが記されています。
また、入り口に四軒町と書かれた石も置かれておりますが、こちらは今ご説明の通り、現在の本町のもとの地域となった名称のことだそうで
江戸時代の始め、東照宮の楽人(雅楽の演奏家)のお屋敷が四軒おかれたことから、この辺りは四軒町と呼ばれるようになったそうです😊
参道を少し進むと鳥居があり、奥に階段と、その先にある社殿が見えてきます。
社殿へと続く階段のわきで、神社をお守りしている狛犬は、明暦(1655~1658)に造られたという大変貴重なものです。
日光山内にあるものを含め、県内全域に置いてもかなり古い部類のものだそうで、参拝の際には是非見ておきたい重要なポイントです。
筆者も今までに県内の色々な神社で狛犬を見させて頂きましたが、独特なまるみを帯びた形状なのも珍しく、とても印象に残る狛犬でした😊
そんな狛犬が守る神社を眺めてみると、参道・階段・社殿を支える基壇の石積みも立派でした。
青龍神社の社殿の横には、稲荷神社や、いくつかの祠も並んでいました。
境内は広くはありませんが、とても神聖な雰囲気を感じられる神社でした😊
最後に
こちらでは、日光市の青龍神社の歴史や、境内の様子をご紹介させて頂きました。
ちなみに記事の途中で、ここ青龍神社のある場所(四軒町)は東照宮の楽人にゆかりのある土地であることをご紹介させて頂きましたが
実は、日光市では言わずと知れた人気の老舗ホテル、金谷ホテル創業者の金谷善一郎氏も、東照宮の楽人として仕えていたそうです😊
金谷善一郎氏は金谷家九代目当主だそうで、初代が東照宮の楽人としての役割を拝命したのは、なんと1640年頃のことだそうです。
ですので、青龍神社の狛犬が作られた時代と、ほぼ同じころの出来事ということですね。金谷家の歴史も本当に凄いです。
なおこちらの場所は、二社一寺へと続く西参道入り口からも近い場所にあるので
日光山内をご参拝される際には、是非併せてご覧になってみてください😊
最後まで読んで頂きありがとうございました。