栃木県さくら市喜連川
『龍光寺』
室町幕府の初代征夷大将軍・足利尊氏が、後醍醐天皇の御冥福を念じて創建したお寺です😊
その後は、足利家の子孫、喜連川氏の菩提寺として代々大切にされ、境内にある喜連川氏歴代の墓所は喜連川町の文化財となっています。
こちらのブログでは、龍光寺の歴史や、境内の様子についてご紹介させて頂きます。
[aside type=”boader”]【基本情報】
住所 | 栃木県さくら市喜連川4317 |
電話番号 | 028-686-7017 |
駐車場 | 有 |
アクセス | マップを開く |
↓駐車場↓
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龍光寺の歴史
龍光寺を開基した足利尊氏は、1338年~1358年にかけて征夷大将軍を務めた人物であり
その足利尊氏の四男・足利基氏を祖とする一族が、代々喜連川藩主を務めた喜連川氏です。
その後1500年代後半に、基氏の子孫である国朝の頃から氏が喜連川へと改められました。
しかし、足利国朝は若くして急死してしまったため、その弟の喜連川頼氏は、若干14歳にしてその跡を継いだそうです。
足利尊氏が創建した当初は東勝寺というお寺でしたが、一度豊臣秀吉の軍勢によって焼失してしまったため、喜連川頼氏がこれを再興。
その際、国朝と頼氏の父である頼純の法号から龍光院と改められ、第二次世界大戦後の1953年に、寺号が現在の龍光寺へと改められました。
日本最小の喜連川藩
喜連川氏菩提寺・龍光寺本堂
徳川家光の時代には、大名の定義として一万石以上の領地を将軍から与えられた武士であるという定義が定められたものの
喜連川氏は由緒ある足利源氏の出自であったことなどから、わずか五千石にして大名格を認められ、喜連川藩は日本最小の藩と呼ばれました。
10万石格の大名として優遇され、参勤交代の義務も免除されていたそうです😊
伊達氏が喜連川領内を通る際には、藩主が橋の下で釣りをしていたので、頭上を通ることなく行列を止めて待ったという話も残っています。
境内紹介
さくら市の龍光寺へと続く入り口は商店街の通りにあり、道は綺麗に整備されていました。
門をくぐると正面に本堂があります。
↓龍光寺本堂↓
この本堂を正面に見て、左へと進んで行くと、奥に喜連川氏歴代の墓所があります。
↓喜連川氏の墓所↓
墓所の中に入ることはできませんが、格子の隙間から中の様子を見ることが出来ます。
喜連川氏は明治維新後に氏を足利へと戻し、現在は16代目まで続いているそうです。
足利尊氏公木像
境内には普段は非公開の足利尊氏公木像もあり、そちらは市指定文化財となっています。
足利尊氏公木像は喜連川氏四代昭氏が、鎌倉長寿寺にあったものを模写制作したもので
鎌倉の長寿寺、京都の等持院と、ここ喜連川の龍光寺にある三体しかないそうです😊
この木像は特別公開されることがありますので、気になる方は是非、その公開日をお調べになってから足を運んでみてください。
最後まで読んで頂きありがとうございました。