栃木県栃木市
『岩船山高勝寺』
高勝寺のある岩船山は、山全体が船形であることが名称の由来とも云われ、古くより死者の霊が集まる場所として信仰されており、日本三大霊山(霊場)の一つに数えられています。
また、御本尊である地蔵尊は『生身の地蔵尊』と呼ばれており、日本三大地蔵尊の一つに数えられ、子授け、子育て、安産のご利益があるお地蔵様としても親しまれています😊
境内に残る仁王門・三重塔・鐘楼堂は栃木県重要文化財に指定されている大変貴重なもので、約600段の階段を上った先からは、栃木市岩舟町の美しい風景も一望でき大変綺麗です。
こちらのブログでは、そんな高勝寺の歴史や境内の様子をご紹介させて頂きます。
[aside type=”boader”]【基本情報】
住所 | 栃木県栃木市岩舟町静3 |
電話番号 | 0282-55-2014 |
駐車場 | 有 |
アクセス | マップを開く |
公式サイト | 公式サイトを見る |
公式Twitter | 公式Twitterを見る |
↓岩船山南側の駐車場↓
(マップを開く)
こちら岩船山南側の駐車場に車を停めると、およそ600段の階段を登っていくルートとなりますが、こちらとは別にお車で岩船山東側から上がれるルートもあるそうです。
詳しくは公式サイトのアクセス情報やGoogleマップで岩船山高勝寺を目的地にした際のルートなどを参考にしてみてください😊
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高勝寺の歴史
岩船山高勝寺入り口
岩船山高勝寺の歴史は古く、伯耆国大山(鳥取県の大山)の名僧にして、地蔵信仰にあつい弘誓坊明願にという方により、西暦771年に開山されたとお寺であると伝えられています。
日頃より生きた地蔵菩薩様を拝みたいと願っていた明願は、夢の中にて岩船山に登るようにとの仏様のお声を聞いたことから、770年に岩船山を目指して伯耆国よりやってきたそうです。
そして岩船山へと着いたのち、山腹に草庵を見つけ、庵主の伊賀坊により宿泊の許可をもらうと、月々の十八日、二十四日に山を登れば、生身の地蔵尊を拝めることを教えてもらいました。
大いに喜んだ明願は、後日伊賀坊とともにまだ夜明け前の山をよじ登り、岩上に端座して一心に願うと、やがて目の前の船形の大岩の上に、金色漠然たる光を放った地蔵尊が現れました。
しばらくお地蔵様を拝むことができ、願いがかなった明願は、その後伯耆国へと帰国します。
↓高勝寺参道↓
そして翌年、明願が再び草庵を訪れると、既に草庵は無く、山腹に地蔵尊があるのみで、何故か村人は草庵や伊賀坊を知らなかったそうです。
しかし実は明願が伊賀坊と山に登る前の日、伊賀坊のもとには何人もの村人が来て願い事を言い、その全ての人を手伝う伊賀坊を明願は目撃していたため、これはおかしなことです。
不思議に思った明願が地蔵尊の顔を覗き込むと、その顔が伊賀坊そっくりであったことから、伊賀坊こそがお地蔵様であったことを悟り、地蔵尊を御本尊としてお堂を建てたといいます。
このようなエピソードから、高勝寺の地蔵尊は『生身の地蔵尊』として信仰され、普段は秘仏となっておりますが、年に一度秋彼岸の時のみ公開され、その姿を拝めるそうです😊
日本三大霊山・日本三大地蔵尊
階段の途中にある石仏と
開山の由緒が書かれた石板
岩船山はかつて関東の高野山と呼ばれ一大霊場として栄えた場所であり、日本三大霊山の一つに数えられる他、日本三大子授け・子育て地蔵尊の一つとしても信仰されています。
岩船山は霊魂の故郷といわれ、生身の地蔵尊は死者を暖かく懐に抱いてくれる存在であると同時に、子授け、子育て、安産の地蔵尊であることから、人の生死に深く関りのある場所です。
私は小山市の在住ですが、祖父が亡くなった際には、こちらの岩船山へと登り、高勝寺様にて塔婆を供えさせていただきました。
かつては徳川三代将軍家光公の側室であるお楽の方(宝樹院)もこちらの岩船地蔵様を信仰し、岩船から地蔵様を迎えて子孫繁栄と武運長久を祈ると、見事に懐妊のご利益がありました。
その結果生まれたのがのちの四代将軍徳川家綱公であり、このエピソードから家綱公は岩船地蔵の申し子とも言われる存在であったそうです。
ちなみに、家綱公の生母であるお楽の方は、栃木県栃木市大平町付近の出身であった縁から、岩船地蔵様を信仰されていたそうです😊
栃木県重要文化財
その後、高勝寺は徳川将軍家の庇護を受け、三重塔、仁王門、鐘楼堂なども造営され、そちらは栃木県重要文化財に指定されています。
↓三重塔(1751年建立)↓
↓仁王門(1742年建立)↓
↓鐘楼堂(18世紀頃の建立)↓
どれも大変立派な建造物で、三重塔は高さが19メートルもあるそうで、仁王門も県内随一の規模を誇る大変貴重な遺産です。
仁王門をお守りしている仁王様も、姿形、表情からして大変素晴らしいものでした。
山頂と孫太郎尊
高勝寺本堂
岩船山は高さ約173メートルといわれており、その地点は先のご紹介した三重塔または本堂の後ろから続く階段の先にあって、その173メートル地点のそばでは孫太郎尊が祀られています。
↓孫太郎尊本殿↓
孫太郎とは後北条氏の家臣・松田康郷の別名であり、臼井城の戦いにおいては見事上杉謙信の軍を撃破してみせると、これが軍神とまで呼ばれた上杉謙信の生涯最大の敗戦となりました。
この戦いにおいて康郷は、赤色が目立つ装備で現れたため、謙信は『岩舟山に赤鬼の住むと沙汰しけるは、一定彼がことなるべし』と感嘆し、康郷の名が広く知られるようになったそうです。
言い換えると、岩船山には赤鬼が住んでいるとは聞いていたが、彼の事だったのかとなり、その後鬼孫太郎、松田の赤鬼といった異名が広まって、武勇に優れた人物として名を残しました。
これはつまり、もともと岩船山には赤鬼の伝説があったということでもあり、孫太郎尊本殿から本殿の後ろへと下った所には、赤い天狗のお面が飾られている孫太郎尊拝殿もあります。
↓孫太郎尊拝殿↓
最後に
1724年造立の大仏
こちらのブログでは、日本三大霊場の一つ、高勝寺の境内の様子をご紹介させて頂きました。
この他にも、1724年に造られた大仏であったり、1763年に造られた燈籠であったり、賽の河原堂や奥の院など、広い境内の中に、数々の見所と歴史が詰まった素晴らしい寺院でした。
そして、およそ600段の階段を登った先から見られる市内の風景も大変綺麗で、圧巻でした😊
夏の終わりには階段の両脇に綺麗な彼岸花も咲くそうで、そちらも是非見てみたいです。
ちなみに岩船山といえば、元々は江戸時代から岩船石の採掘場であったことから、山のあちこちに岩肌が見えている姿も特徴的です。
その神秘的な景観を活かし、特撮作品などにおける爆破シーンのロケ地にも使用されていることも有名なので、多くの方が子供の頃に見た特撮作品でその姿を見ているかもしれません😊
もし岩船山へ訪れる際には、そういった山の様子についても是非注目してみてください。
最後まで読んで頂きありがとうございました。