実相寺|栃木市西方町|結城晴朝公開基|西方藩主・藤田信吉公が眠られている桜の名所

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栃木県栃木市西方町

『実相寺』

のどかな風景が広がる、栃木市西方町の桜の名所として知られる曹洞宗の寺院です😊

境内には、かつて西方藩の初代藩主となられた藤田信吉という方の墓所もあります。

こちらのブログでは、実相寺の歴史や境内の様子についてご紹介させて頂きます。

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【基本情報】

住所 栃木県栃木市西方町元1739
電話番号 0282-92-2030
駐車場
アクセス マップを開く

↓駐車場↓

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目次

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実相寺の歴史

実相寺は1600年2月の創建で、結城はるともという方によって開基され、国大佑和尚という方により開山されたお寺と伝えられているそうです。

結城晴朝(1534-1614)という方は、小山氏17代当主・小山たかともという方の三男として生まれ、のちに結城氏17代当主を務められた人物です。

なお、小山氏と結城氏は親戚の関係で、小山氏の祖である小山政光の子・小山朝光(1168-1254)が結城氏の初代当主と伝えられています。

実相寺の創建された1600年前後はまさに激動の時代で、織田信長が今川義元を討ち取った桶狭間の戦い(1560年)、徳川家康が石田三成の軍を破った天下分け目関ヶ原の戦い(1600年)

豊臣家が滅亡することとなった大阪夏の陣(1615)など色々な出来事があり、実相寺を開基された結城晴朝も、実家の小山氏とも対立するなど複雑な環境で生き抜いてきたようです。

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藤田信吉公の墓所

実相寺本堂

そんな実相寺には栃木県有形文化財の木造出山釈迦像が保存されている他、本堂裏手の杉林の中に、結城晴朝と同じ時代を生きた武将・藤田信吉(1559-1616)という方のお墓もあります。

藤田信吉は生前、北条家、武田家、上杉家などに仕え、上杉景勝のもとでは数々の城を攻略するなど抜群の功績を残し、のちに越後津川城代として1万5,000石の所領を与えられています。

そして1600年の関ヶ原の戦いに際しては、上杉家(西軍)から出奔し、徳川家(東軍)につき、戦後家康から下野国西方に1万5,000石の所領を与えられ西方藩初代藩主となられたそうです。

藤田信吉は子供がおらず、西方藩は藤田信吉の代で廃藩となられてしまったそうで、つまり初代にして最後の藩主となられた方なのですね。

実は、そんな貴重な墓所があったことを後から知りましたので、また改めて参拝させて頂く機会にお参りさせて頂きたいと思います。

桜の名所

実相寺は栃木市西方町のの名所として知られており、春にお伺いした際には立派な桜の木が見事に花を咲かせていて素晴らしく綺麗でした。

参道の階段の先には凛々しい表情の仁王像が立っており、背景には桜が満開。

山門をくぐった先にも立派な桜の木が生えており、表情豊かな石仏も並んでいて、おそばを食べている仏様もいらっしゃいました😊

まわりも本当にのどかな場所で、桜を眺めながら穏やかな気持ちで参拝できました。

本堂前には立派なしだれ桜も生えていましたので、是非ご覧になってみてください。

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最後に

こちらのブログでは、栃木県栃木市西方町の桜の名所、実相寺の歴史や、桜が満開に咲く境内の様子についてご紹介させて頂きました。

なお、こちらに墓所のある藤田信吉という方は、最後は現在の長野県の奈良井宿にて亡くなられたそうで、現在はその長野県塩尻市奈良井にある長泉寺というお寺にも墓所があるそうです。

一般的にはあまり知られてはいない人物かもしれませんが、数々の戦いで武功を挙げ、徳川家康と上杉景勝の折衝役として奔走するなど、歴史上重要な人物であったことは間違いありません。

またご参拝させて頂く機会には、改めて墓所へお参りさせて頂きたいと思います。

最後まで読んで頂きありがとうございました。

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